雨と傘と























「あ…雨が降りだしたな」

 譲がそう呟く。朝から曇天の空で、今にも降りだしそうではあったが、残念なことに雨が降り始めてしまったようだ。

「参ったな…傘を忘れてしまった」
「布都彦が?珍しいな」
「ああ。兄上には持たせたのだが…」

 他人に持たせておきながら自分が忘れてしまうなど、布都彦らしいと言えばそうであるが、やはり珍しい。

「部活が終わった後なら、もう少し弱くなってるかもしれない。そんなに肩を落とさなくていいさ」
「…そうだな」

 気を取り直して、部活に行く仕度を始める。すると、見知った影が譲の視線に入った。

「譲君!」
「…春日先輩?どうしたんですか?」
「傘、2本持ってたりしない?私も将臣君も忘れちゃって…」
「流石に俺も2本は持っていませんけど…」

 朝から降りだしそうだったというのに何故こんなに忘れてしまう人が多いのかと、譲は不思議に思ったが、長い間想い人であった望美に対しては非常に甘く、彼女が雨で濡れてしまうのは少々忍びなかった。

「俺の傘、貸してあげますよ」
「え?でもそれじゃ譲君が濡れちゃうよ?」
「帰ったら、兄さんに俺の分の傘を届けさせて下さい」

 現在の恋人である兄と、知った仲であり、他に恋人がいるとしても、女性が一緒に傘に入ることを考えると、少し胸が痛いが、それでも互いに風邪をひくよりはマシだろうと、そう思う。譲と将臣が同じように傘に入ることなどないのだろうけれど。

「うん…譲君がそれでいいなら、ありがたく借りるね。将臣君にはちゃんと伝えておくから」
「気を付けて帰って下さいね」

 望美と将臣は恋人同士なわけではないけれど、やはり譲よりはお似合いであるし、それを思うと少しだけ寂しくなった。
 部活をしていても、それが頭を過って、なかなか集中出来なかった。

「…有川君、どうかしたの?」

 葦原千尋は同じ弓道部の先輩だ。先輩と言えど、弓道部に入った時期は同じということもあって、千尋が譲に教えを請うことも多く、そういう素直に人を評価する点はとても好ましいと思っている。
 しかし好ましいのと全部を話せるかどうかは別で、まさか兄と一緒に相合い傘がしたいなどとは言えず、曖昧に笑った。

「いえ。布都彦が傘を忘れてたらしくて。止めばいいなと思ってただけです」
「え?布都彦、傘を忘れてたの?珍しいね」

 千尋と布都彦の家は昔からの知り合いらしく、千尋と布都彦も知り合いのようだった。

「そっか…布都彦、傘忘れてたのね」

 千尋は暫く悩むように口元に手を持っていっていたが、何か閃いたかのように、顔を輝かせた。

「少し家に連絡してくるから、抜けるね」
「え、はい」

 もしかして布都彦の家族にでも連絡するのだろうかと譲は思ったが、千尋の行動が早く、聞きそびれてしまった。





 部活も意外に早く切り上げられ、譲は下駄箱へと向かう。傘はもう置いていっているだろうかとぼんやりと考えていたが、思いもよらず将臣自身がそこに居たのだ。

「兄さん?」
「おう、お疲れー」
「何で?傘だけ置いていっても良かったのに」
「いや〜、望美が『譲君が少し寂しそうだった』なんて言うからさ」
「っ?!なっ…?!」

 譲は自分の顔が熱くなるのを感じた。そんなに表情に出ていたなんて思っていなかったし、それが望美にバレるだなんて思わなかった。そして将臣に筒抜けなことにも、羞恥を覚えた。

「たまにはいいだろう?一緒に帰んのも。ガキの頃みたいでさ」
「……」
「ほら、雨脚強くなる前に帰らねえと」

 そう手を握られて、譲は将臣に引っ張られる形で歩き出す。その背中がやはり頼もしく思えた。
 ずっとその背を追ってきた。それこそ小さい頃からずっと。視線が然程変わらなくなった今でも追い付けてはおらず、恋人である前に、やはり追い付きたい男だと譲は思う。きっとそれはずっと変わらないのだろう。

「そういやさ」
「何?」
「さっき那岐に会ったんだよ」
「那岐先輩に?」
「そう。珍しいこともあるよな」

 葦原那岐という人物について、譲も人伝にしか聞かないが、千尋と従兄だと聞く。同級生の間では『王子様』と騒がれていること、時々将臣や千尋、そして布都彦の口から、面倒くさがりだが、面倒見がいいことを聞く程度だ。

「千尋から頼まれて布都彦の傘を持ってきたんだってさ。ついでに一緒にメシ食うから、連れて帰ってこいと」
「そうなんだ」

 兄と暮らしているらしい布都彦は普段、夕飯は一人で食べているらしい。だからたまには友人と夕飯を過ごすことは良いことだと譲は思う。それに、布都彦は那岐に注意をしているが、それでも気心が知れている相手なのだろう。だからたまには息抜きの意味でも、布都彦には良いことだ。

「あ、傘1本しかねえから」
「はあ?!何でだよ!」
「折れたんだよ。仕方ねえだろ」

 仕方ない、と言われても、1本の傘に大の男が2人入ると狭い。何より兄弟で相合い傘など、傍目から見たら可笑しい。内心がどうであれ、躊躇うのは当然だろう。

「無いものは無いんだ。早く帰ろうぜ」
「片方が傘持ってるんだから、コンビニかどこかでもう1本買えばいいだろう?」
「それならコンビニまで一緒に入ろうぜ。いちいち戻ってくんのも面倒だ」

 そう言って、譲を引き寄せるものだから、仕方なく入る。しかしやはり狭かった。

「……結局二人共濡れたじゃないか」
「まぁ、いいだろ。たまにはさ」

 お前だって、こういうことしたかったんだろう?

 そう言われると否定出来なくて、譲は黙った。触れてる肩は熱く、入りきれなかった身体が雨で濡れることさえもあまり気にならなかった。
 もしかしたら譲が望んでいたことを、将臣も望んでくれていたのだろうか。そう思うと少し嬉しかった。
 前方で一際元気な声が聞こえる。その知った声に、譲と将臣は顔を見合わせ、顔を綻ばせた。
































あとがき
 前方を歩いているのは那岐と布都彦です。元気なのは一方的に布都彦のみwww

 ここまで読んで下さってありがとうございます。









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