Not "Sepia"
綾人に会えなくなって、ヒトミの世界は不思議と色を感じなくなった。正確に言えば、もう会えないと知った時から。
最後に会った時、彼は寂しそうにしていたのに。それに何となく気付いていたというのに。ヒトミはそのサインを見逃した。そのことでヒトミは自分勝手のことを責めた。
彼から貰ったカスミソウも、大事に活けて、リビングに飾っていたのに、その純白も徐々に色を失い、セピア色になろうとしていた。
いつかは綾人との思い出もこの色になっていくのだろうか。今はまだはっきりとした色で思い出せるけれど、この色に変わっていくのかもしれない。どんなに拒絶してもこの色に変わっていくのかもしれない。
それを悲しいと思うのに。心が痛んで、どうしようもないのに。それでも、自分は何故花を活けるというのだろう。会わなければ、こんなに苦しくなかった。決別の悲しみを味わう必要もなかった。出会わなければ、花なんてなかったら。
ただ道で見付ける花ならば、枯れていく姿など見なくて済む。きっと綾人もその花のつもりだったのかもしれない。だが、ヒトミはその花をずっと眺めていたくて、それを活けていたのだ。もう取り返しなんてつかない。
こんなに悲しい想いをして、でもまた同じ悲しみを繰り返すリスクを負ってまで、人は花を活けるのだろう。捨てる時にあんなに心が痛むのに、その痛みを何故繰り返そうと思うのだろう。
それでも、また綾人に会いたいと思うのは何故だろう。人は誰だって傷付きたくない。それはヒトミも同じで、綾人とずっと一緒にいられる保証なんてなくて。
ヒトミは繰り返し、その問の答えを探す。正しい答えが出ない問が苦しかった。
暫く過ぎて、花はとうとう枯れてしまった。ヒトミが思い出せる思い出も、全てではなくなった。声を全て思い出せなくなった。ヒトミがどんなに留まりたいと思っても、時間は流れて、立ち止まることを許してくれない。ゆっくりと、押し流されるように過ぎていく。それはあまりに残酷だとヒトミは思った。
花はもう捨てなければならないだろう。部屋の景観を損ねてしまう。ヒトミの綾人への気持ちも同じ。これが自分を縛るものだと知っている。だから捨てなくてはいけない。
けれど、花を捨てる気にならないのだ。いつか朽ち果てるものだと知っているのに、このまま置いておいたっていつかはなくなってしまう。捨てるタイミングを見失って、きっと花瓶だけになって、花瓶という形に囚われてしまう。そこにもう花はないのに。
捨てるのが正しい。そう思うのに、捨てられない。捨てたくない。
何故苦しいのに人は花を活けるのだろう。出会いを求めるのだろう。忘れられないのだろう。決別出来ないのだろう。いつかはなくなるかもしれないのに。忘れる方が幸せと、綾人も態度で示してくれた。彼のサインに気付けなかったヒトミに、彼を責める資格はない。綾人が示した通りにするのがおそらく正しいのだ。なのに・・・。
ヒトミは学校に行くとすぐに進路指導室に行った。ここには色々な大学の資料がある。そこで前年度の卒業生の資料がある。ヒトミが知りたい資料はすぐに分かった。
(許されないかもしれない・・・正しくないのかもしれない・・・でも・・・)
季節は巡り、桜の季節になる。綾人と別れて以来、ヒトミの世界は色褪せて見えたけれど、目標を持って、少しだけ色が戻った。これは最後の賭けだ。うまくいかない可能性が高い。それでもヒトミにはあがくより他に方法がなかった。
桜並木をゆっくりと踏み締めるように歩く。この先にあるものに会いたくて駆け出したいような、結果を知るのが怖くて立ち止まりたいような、そんな気分だった。
ヒトミは大学に進学した。ヒトミが選んだ学部ではないが、ここには文学部がある。綾人がいる筈なのだ。その為にこの学校を選んだ。もう一度、会う為に。
会える確信はない。いない可能性だって低くはない。会えたとしても、またいなくなってしまうかもしれない。綾人は望まないことだと分かっている。それでも会いたいのだ。もう一度会いたい。そして伝えたいことがあるのだ。
人混みに目をこらす。彼は儚い雰囲気があっても、きっと目を惹く魅力のある人だから、見付けられる筈だ。周りなど目もくれず、ヒトミは探した。彼が行きそうな場所は全て。祈るような気持ちだった。会えないかもしれない。会えたとしても綾人がヒトミの気持ちを受け入れてくれるとは限らない。不安はヒトミの足を鈍らせる。それでも立ち止まらなかったのは、綾人に会いたいという気持ちからだった。
ヒトミはひたすらに探した。ひたすらに探して、声を聞いた気がした。あの優しい声を。
「―――」
曖昧な記憶を頼りに探していたが、これは彼の声だと本能が呼びかける。様々な記憶が呼び起こされる。
「…っ…神城先輩…っ」
ヒトミの呼びかけに反応する気配がした。ヒトミはその気配を追った。忘れられなかったその存在を追うことは難しいことではなかった。
「…ヒトミ…ちゃん…?」
桜の下に立つ彼は本当に綺麗だと思った。景色に溶け込みながらも、決してその存在は消えず、桜が彼を引き立てる。ヒトミの視界が滲む。美しすぎて涙が出そうだ。
「…どう、して…」
「会いたかったからです」
ヒトミは純粋にそう答える。ただ会いたいと思った。だからここまで来た。
「私は神城先輩が好きです。それをずっと伝えたかったんです。だから今、ここにいます」
「・・・若月先生から聞いたかもしれないけど・・・僕はね、ヒトミちゃん・・・」
「知っています。神城先輩は病気で・・・治らないかもしれないんでしょう?」
口にするとその事実は重みを増す。それでもヒトミは決めたのだ。
「神城先輩はどう思っていますか?私のことはただの後輩としか見れませんか?」
「・・・いつ死ぬかも分からない・・・もしかしたら明日かもしれない。僕は君を不幸にしたくないんだ・・・」
「神城先輩といられるのに、不幸だなんて絶対にありません」
ヒトミはそう言い切った。ヒトミもずっと考えてきたのだ。綾人がくれた傷付かない為のチャンス。それを無にするだけの覚悟があるのか。そうずっと自分に問い掛けて、ヒトミは答えを出したのだ。
「別れはつらいです」
花も枯れてしまう。それは避けられない運命だ。だが・・・。
「それでも、一緒にいる間の時間は決して消えません」
その花は癒しをくれた。その気持ちは消えない。別れは悲しい。それでも花を活けるのは、出会いを求めるのは意味がある。
「神城先輩と一緒にいて、私はとても楽しかったです。ダイエットはつらかったけど、神城先輩が応援してくれたから頑張れました。一緒にいて、すごく幸せでした。旅行に行った時も、文化祭も、クリスマスも先輩がいたから、いつもよりずっと楽しかったんです」
いつか別れが訪れても、それは今の幸せよりも大事なことなのだろうか。
「別れは悲しいです。考えたくもありません。でも・・・それよりもかけがえのないものがあると思うんです」
綾人とこれから先の未来を過ごせる幸せはヒトミにとってはかけがえのないものだ。だからヒトミは綾人に会いに来たのだ。
「・・・先輩の身体のこと、あの時気付けなくてごめんなさい。でも、先輩さえ許してくれるなら、先輩のつらさを共有させてほしい。傍に居させてほしいんです」
綾人のつらさを共有出来ることさえヒトミには幸せなことだと思う。綾人と共にありたいのだ。
「・・・いいの?」
綾人は風にさえも消されてしまいそうなほど、小さな声でそう言った。その声をヒトミは今度こそ聞き逃さなかった。
「いいです。それが私の幸せです」
「・・・ヒトミちゃん・・・」
「神城先輩・・・許してくれますか?気付かなかったこと・・・傍にいること・・・」
綾人は一つ息を吐いて、泣きそうな顔で微笑んだ。
「うん・・・傍にいて・・・大好きなんだ、ヒトミちゃん・・・」
別れはつらい。それに怯えることもそうだ。だが、傍にいる幸せをヒトミは選んだ。それに後悔は決してしない。
ヒトミは綾人の手を握る。ヒトミも泣き出しそうだったが、笑ってみせた。
花との別れはつらくとも、それでも花を活け続けたい。その花がもたらすものが大事だから。例え枯れてしまっても、その時間が消えてしまうわけではないから。
あとがき
実は一番綾ヒトで書きたかった話です、はい。カスミソウED見て以来ずっと温めてた話です。
友人からは何故か哲学的だと言われましたが。哲学・・・?まあ、そんな気もしないこともないですが。
何で人がつらい思いをしても、出会いを求めるのかって、永遠のテーマな気もします。ヒトミちゃんは、こう思ったんじゃないかな、って妄想。
神城先輩と一緒にいるのって、幸せな思いもするけど、つらい思いもすごくする気がします。死と隣り合わせって。大切であればあるほど、つらいよなぁと。
それでも”今”が大事だからこそ、傍にいるんだと思います。ヒトミちゃんだけでなく、神城先輩も。置いていくのもつらい筈で、何度だってその覚悟を互いにしてきたんじゃないかって思うと、私が泣きそうです。私が泣いてどうする。
”今”って未来と同じくらい大事だと思います。だから今を大切に生きたっていい。それが未来につながるかもしれない。それを体現してるのが、綾ヒトだって思ったり。
これ、結構前に書いたやつなんですが、あげてなかったなぁと思いまして。書きたい割には文章拙いんですが、結構頑張って書いた記憶が。
題名は「It's not Sepia」が正式名称なんですが、itもisも確か省略できる気がした。英語分からんけど。知らん!って感じです。
セピアにならない。とか懐古主義にはならない。とかそんなニュアンスで付けたんですが、そんな意味で取れてるかどうかも知りません。←
管理人はアホですから。賢くないですから!間違っててもタイトルは流石に変えませんww
とりあえず、ここまで読んで下さってありがとうございます。
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