第五話
「忍人さんが倒すなんて……あまりに危険です。一人では無理です」
千尋は自分でも矛盾したことを口にしていると思う。千尋も同じく一人でそれをやろうとしていた。だが、同時に無謀であることも分かっていた。
「……君も分かっているだろう?君が手を下すわけにはいかない。かと言って軍を動かすことも叶わない。ならば俺一人で……」
「駄目です!勝ち目のない戦いなんてさせられません!」
それならば千尋は自分が武器を取り、戦うことを選択するだろう。勝ち目があるかないかなど、千尋も同じく分からない。だが、千尋には穢れを払う力があり、陰の気を払うのは千尋にしか出来ない。
そして、無謀な戦いとなるのならば尚更、上の立場にいる千尋が出ることが責任だと千尋は思う。
「私は……勝ち目のない戦いを、仲間にさせたくありません」
以前の千尋であれば、そんな風に考えることはなかったかもしれない。自分の正しいと思うことをしてきたが、それだけではいけないことを今までの戦で学んできた。仲間の命を守ることも視野に入れなくてはならないことは痛いほど学んだ。
そして、表情を歪めて、そう口にした千尋を見て、王にするには優しすぎると忍人は思う。そして、そんな千尋だから皆がついてきた。無謀としか思えなかった国の再興に賭けてみようと、戦おうと考えたのは、仲間の為を思い戦う千尋だからだ。
だからこそ、忍人は千尋を失えない。どんなことをしてでも。
そう思った時、破魂刀が不穏に鳴った。
「……この音…」
「破魂刀からだ。時々、このように鳴く」
隠しようのないことだったので、忍人は素直にそう答える。これを口にしたところで、破魂刀の代償まで気付ける筈がないことも分かっている。
「破魂刀の力で、龍と戦うんですか?」
「……そうなるだろうな。これが俺の武器だ」
「…………」
千尋は破魂刀の力を知っている。勿論、代償までは知り得ないが、嫌な予感が身体を巡る。あの力は一体どこから出てくるものなのか。人知を超える力は、何の犠牲も無しに得られるものなのか。
人知を超える力は無償ではないと、先の経験から千尋はそう思うようになった。黒き龍は千尋の願いと引き替えにたくさんの命を奪った。そもそも、彼の龍は人の滅びを願い、滅びを与えることで千尋の願いを叶えた。つまり、願いが一致した時にしか力を貸してくれないのだ。
ならば、破魂刀の力の源は何か、千尋が気になるのは必然だった。
「……幻滅しても構いません。どうか聞いて下さい。私はたぶん、言わなくてはいけないことがあります」
「……」
「出雲での戦の時に降った火の雨も、ムドガラ将軍との戦いの時も、私は黒い龍の声を聞いていました」
千尋の弱さが原因で願ってしまったこと。
「私は心のどこかで願ってしまいました。力が欲しいって……」
「……」
「それに呼応するように、災厄は起こりました。黙ってたのは確証が持てなかったのと……自分のせいだって思いたくなかったからです。今まで黙っていてごめんなさい。罰は何れ受けます。でも、今はそれよりも聞いてほしいことがあるんです」
「……続けてくれ」
忍人は千尋の告白に多少なりとも衝撃を受けたが、忍人が千尋と同じ立場であれば同じように力を欲したに違いないことは、忍人自身が一番よく分かっている。破魂刀を手にした理由は力が欲しかったからだ。何に縋ろうとも、戦い抜く力が欲しかった。だから、それを聞いても千尋を責める気にはなれない。千尋が願ったことは、過去の忍人自身であり、そして今の姿でもあるからだ。
それを知ってか知らずか、千尋は言葉を続ける。
「黒い龍は人の滅びを願っています。私も……力を欲しました。願いが一致した時にだけ、龍は力を貸してくれたんです。人知を超える力は都合よく得られない……忍人さんの持つ破魂刀は、代償も無しに使える代物ではないと思うんです」
「………っ」
千尋の言葉はあまりに的を得ていて、忍人は驚いた。そのようなことを話したことは誰にもなく、そして千尋に気付かれるとは考えてもみなかった。
「その刀の正体は何ですか?その力は一体……」
「何故このような力が発揮できるかは俺にも分からない。だが、特に何も支障はないし、君が危惧するようなことはない。心配しなくていい」
全てが嘘というわけではない。犠牲になるのは忍人のみだ。一人の命でどうにかなる未来であれば、それは安い代償だ。千尋のいる未来を守る為の代償なら安いものだろう。
忍人の表情は穏やかなものだった。死よりも恐ろしいことは、再び希望を失うことだ。恐ろしくなどなかった。
「…………」
けれど、千尋は不安が拭えなかった。穏やか過ぎて、かえって恐ろしいと思った。しかし、言い様のない不安は、言葉として紡ぐことはできなかった。
「…………あまり長居はできない。今日の話はここまでだ」
「は、はい……あの!」
「何だ?」
「まだ、実行はしないで下さいね!一人でなんてやっぱり無理です!せめて、龍の弱点でも分かってからの方がいいです!」
「……即実行に移すことはない。そんなに無謀な真似はしない」
「……はい」
千尋はどこか納得できずにいたが、忍人はそのまま出ていってしまう。その背を出ていくまでじっと見詰めていたが、言い様のない不安は膨らんでいく。
千尋はある一つの思考が占めていた。ここから出なければならない。そして、千尋があの龍を倒さなくてはならない。
失う予感がするのだ。大切な何かを。
大切な何かの答えはもう分かっている。忍人だ。千尋は、冷たいように見えるのに本当は優しい忍人の期待に応えたいと思っていた。近付けば近付くほど、忍人は優しい一面を見ることができた。そんな忍人を好きになるのは必然だったのだろう。そんな忍人の期待に応えたいと思う気持ちは今も変わらない。だが、失うことは希望を失うことと同義だ。
失わない為にやることは一つだ。黒い龍を倒すこと。そして、それは忍人の手でさせてはならない。
では、どうしたらいいか。だなんて、分かりきっている答えだ。戦略など分からない千尋でも分かる。ここから出て、千尋の手で黒い龍を倒すことだ。
しかし、出る為にはどうしたら良いのか。それが分からないから困っている。脱出出来ないかどうかは何度も考えた。周囲には見張りが配置されているし、少なくとも千尋のような一介の少女に見付けられる隙などあるわけがない。
寝ずに何度も確認したが、交代の時間に隙が出来ることもなく、出るには手段は一つ、龍の矢を抜くことだ。それは素直に取れば、人の滅亡を選ぶことになる。勿論、千尋はそれを選ぶつもりはない。要するに、「矢を抜く」と嘘を吐いて、外に出るのだ。
そして、おそらくそのまま龍の前に連れていかれるだろう。黒い龍を倒す為には絶好の機会である。それに千尋も気付いていた。それを思い至るだけの時間はあった。
だが、それを躊躇っていたのは、心のどこかで一人で戦うことに対する恐怖があったからだ。そして、それはまだ心の片隅に残っている。
しかし、考える時間もないと分かれば、千尋はすぐに決心が出来た。相変わらず恐怖はあるが、失えないものがある。ならば、恐れはなかった。
「二ノ姫、お待ちしておりました」
「はい」
狭井君が千尋を出迎えた場所は橿原宮の中心部に近い、周囲の風景を見渡せる場所だった。
久々の外気なのだが、それを味わう間もなく、千尋は縛されており、またそこは僅かに陰の気が漏れており、黒い龍がいた。
「黒き龍………」
黒い龍は黙を貫いていた。話せないのか、話さないのかは分からない。
「姫、あなたは、この国を担う者として、務めを果たさねばなりません。今あなたが最も成すべきこと――それが何であるかはご自身でおわかりになりますね」
「――龍の体の矢を抜くこと。そうですね?」
「ええ」
千尋はあくまで落ち着いて答える。感付かれてはならない。味方にも、誰にも。
「龍が守りしこの国で、その龍に王が歯向かえば…民の心は乱れ、国はたちまちに崩れゆく。それがわからぬあなたではないと、私は信じております」
「はい………」
「――あの矢を抜いてくださいますね?」
「わかりました。矢を抜きましょう。――その代わりひとつだけ」
「………?」
「この縄を解いていただけますか。このように縛られた状態では矢を抜けませんから」
「…………あなたが本当に、龍の矢を抜くというなら受け入れましょう。…ただし、神の前に偽りは許されません。それは、ご承知ですね?」
「自分の心に恥じるようなことは何もありません」
「よいでしょう――縄を、解きなさい。あくまで、慎重に」
「ありがとう」
龍に千尋は目を向ける。心は既に落ち着いており、彼の龍を倒すことだけに集中する。
「――天鹿児弓よ!我がもとに現れよ!龍よ、私は、あなたを討つ!」
あとがき
会話だけで話が終わる不思議!!けれど、どちらも思い通りには動いてくれなんだ…。
どうにか本質には触れたいところ!!
まあ、色々ツッコミどころはあると思いますが、次回も読んで下さると嬉しいです。
back top next