第二話
















 いつまで逃げ続けたら良いのだろう。千尋の脳裏にその言葉が過るが、大将軍である以上それは出してはならない感情であることを千尋も心得ていた。
 柊の策によって危機は脱したものの、依然状況は変わらない。ひたすらに天鳥船まで逃げるのみだ。そう、逃げることしか出来ない。

「申し上げます!味方の幾人かが敵に囲まれた模様です!」
「味方の兵が…!

 千尋達にその連絡が入る。救わなくては、とそれだけが千尋の脳裏にあった。しかし、柊から告げられた言葉はその千尋の意図とは反対のものだった。

「姫…進むべき道を見失ってはなりません。兵たちの奮闘を無駄にしないためにも今は前へお進みください」

 策もなく、救援が成功する確率は非常に低い。一度開けた道が閉ざされてしまう可能性を柊は示唆していた。だが、千尋は彼らを見捨てることなど出来ない。「皆が怪我をしないように」、そう願ったのは紛れもない千尋で、嘘偽りのない言葉だ。千尋の願いは皆で生きることにある。

「放っておけない、私はいく」

 遠くで千尋を呼ぶ声が聞こえる。だが、千尋はそれに振り返ることなく走った。

「姫様だ!姫様が助けに来てくださった!」
「姫様、我々のためにわざわざ……」

 囲まれた仲間のもとに駆け付けた千尋は、道を開く為、矢を握る。彼らの命を諦めたくない。

「おい、あれ二ノ姫じゃないか?」
「たったひとりで我々を倒すつもりのようだ」
「かかれ!龍の姫を捕らえよ!」

 だが、常世の軍勢にとっては千尋を捕らえる方が有益と判断したのか、千尋目掛けて攻撃をしてくる。囲まれた軍勢の周囲はやや手薄になったものの、そこから脱することは出来ない。千尋が押されていくことは火を見るより明らかだ。

(だめだ、思ったより兵が多い。私一人では……)

「行け、二ノ姫を捕らえるのだ!」

 まずい、そう思った時、濃い藍の影が現れ、常世の兵を薙ぎ払った。

「無事か、二ノ姫」
「忍人さん?!
「まだ気を抜くな。とにかくここを切り抜ける」
「はいっ!」

 何故ここにいるのか、今までどこに居たのか、聞きたいことはたくさんあった。だが、それよりも目の前の敵からどう切り抜けるかが重要であり、その疑問についてはすぐに消え失せた。
 忍人と、その後駆け付けた狗奴の軍勢によって、道を拓くことが出来た千尋達は、本軍に合流するべく走り続けた。忍人にも勿論言いたいことがあったが、それを言うだけの余裕がないこともあり、千尋の後ろを付かず離れずの位置で走り続けた。千尋を助けに来れたのは奇跡に近い。忍人が千尋達のいるであろう本軍に合流したのだが、柊から千尋が囲まれた兵達を救いに駆け出したと聞き、気が付いたらそれを追っていたのだ。忍人にとって千尋は漸く見付けた小さな希望だ。失うことは出来なかった。間に合ったから良かったものの、ほんの少しでも遅れていたら千尋の命を失っていたかもしれないと思うと恐ろしくて仕方がない。
 どれほど走り続けたか知らないが、本軍から離れてから少し時間は経ち過ぎていた。もしかしたら相手方が何か手を打っている可能性も、忍人の頭に浮かんでいた。

「何……っ?急に太陽が…」

 千尋がぴたりと立ち止まる。太陽が陰り始めたのだ。それほど時間が経ったわけではないのに、何故、と誰もが感じていた。

「太陽が…黒い?」

 太陽が黒いなど、常識的に有り得ない。だが、実際に空に浮かぶ太陽は黒い。禍々しいほどに。それに千尋は言い知れない恐怖を感じていた。




――汝は、求めるか
神の力を――




(この声――頭の中に響いてくる。痛いくらいに)






「―め、二ノ姫!!聞こえているか?!
「お……しひとさん……?」
「急ぐぞ。敵が何かを仕掛けてくる前に、本軍に合流するんだ」
「はい……っ」

 あの声は何だったのだろう。疑問に思ったが、まだ本軍に合流出来ていない以上、立ち止まることは許されない。忍人に急かされ、千尋は再び足を動かす。
 だが、忍人の悪い予感は当たり、黒雷の軍が千尋達の道を塞いだ。

「ようやく来たか。遅参がすぎるぞ、龍の姫」

 アシュヴィンが現れた以上、ここを突破することが非常に困難なことを千尋は悟ったが、それでも突破しなくてはならない。生き残る為にはそれしかない。だが、勝算などどこにもない。

「この期に及んで戦いたくないとか話せばわかるとか――そんな戯言を言って俺を失望させるなよ。戦場には戦場の流儀がある」

 話し合う余地はないとそう提示されては、戦うより他にない。千尋はギリッと弓を握り直す。

「二ノ姫、下がっていろ」
「ほう、龍の姫の代わりに中つ国の不敗の葛城将軍が相手をしてくれるか。些か残念ではあるが、相手としては申し分ない」
「……」

 忍人は強い。そのことは誰もが知っている。残党軍にいながらにして、“不敗”と言われているのは彼が率いる狗奴の軍勢が強いのは勿論のこと、忍人自身が強いからに他ならない。千尋もそのことは知っていたが、それでも不安は拭えない。相手は黒雷アシュヴィンなのだ。彼の強さも、一戦交えただけだが、よく分かっている。あの時は道臣の機転があったからこそ逃れられた。此度も逃れられる保証はない。
 剣を交えれば交えるほど、差は歴然となった。正しく言えば残っていた体力の差だ。本来ならば、忍人は良い勝負をしたであろう。二人の力の差は大してない筈だった。だが、忍人は連戦続きだ。千尋と別行動していた間も、合流した後もずっと戦い、動き続けてきた。単なる連戦であれば切り抜けるだけの技量が忍人にはあるが、相手が悪すぎる。忍人の劣勢は千尋の目から見ても明らかだった。

「どうした?これで終わりとはつまらんな」

 忍人が疲れていることにアシュヴィンも気付いている。つまらない、と言った言葉に嘘はないのだろう。このままでは勝負がついてしまう。忍人が負けるという最悪の形で。

(だめだ…まともに戦っても今は、勝てない。このままじゃ、ここを突破出来ない。忍人さんが―――!!)

 どくんと胸が高鳴る。失えない。失いたくないと心が警告を発する。まるで全身が心臓にでもなってしまったかのように、血が全身を駆け巡り、脈を打つ速さが早くなる。

(いったい、どうしたら…どうすれば……!)

 その時、頭の中で鈴の音が響いた。その鈴は音として聴覚が捉えるというよりも、頭に直接響いてくるもので、千尋の意識にもやがかかってくる。




――力を、欲するか――





(これは…っ!さっきと同じ声――)

 重く、痛いくらいに響く声は、言い知れぬ恐怖を抱かせる。得体の知れないというよりも、もっと神々しく、恐れ多い何かに感じる恐怖だ。




――仲間のもとにたどり着くことこそ、汝が望み――

――汝は望むか?この戦場を焼き尽くすほどの力――




「私は……仲間のもとにたどり着かねばならない。でも――」

 これは恐ろしいものだ、と身体が警告している。取り返しのつかないことになると――。




――ならば、捧げよ
汝が願いを――

――欲せよ、力を――




「力を……?」

 力が欲しい。大切な人を失わずに済む力が。皆を無事に大切な人のもとに帰す力が。

「この戦場を突破できるだけの力を…くれるの?」

 鈴の音はまるで千尋の言葉に応じるかのように、再び鳴り響いた。だが、その鈴の音が届いたのは千尋のみだ。

「討つには惜しい相手だが――まあ、だがこれも命令だから仕方あるまい?」

 息を切らせ、アシュヴィンを見据える忍人に、黒い刃が迫る。
 だが、同時に忍人の握る黄金の二刀も不穏に鳴いていた。忍人も覚悟を決めたように、アシュヴィンを睨む。

(だめ!このままではいけない!皆で無事に戻るの。大切な人を失えない。失わせたくない…!)

 自分の無力さが悔しい。こんな時に切り抜けられなくて、何が大将軍だ。

(倒れたくない!みんなのもとにたどりつくまでは…!!)

 鈴の音が千尋の気持ちに応じるかのように響いた。嫌な予感が胸を過る。

「えっ………」




――龍の…神子……――

――見るがよい、欲するがよい――

――我が力を
終わらせる――すべてを――




「この…空気を圧する強い陰の気は…」

 いち早く異変に気付いたのはアシュヴィンだった。それは常世を苦しめる太陽が与える災厄の気配だったからだ。

「全軍、戦場から離脱せよ!――来るぞ、空から火の雨が!」
「火の……雨?」

 そう言った直後、周囲に眩しい光が降り注いだ。千尋が眩しくて目を瞑り、そして周囲を確認する為にすぐに目を開けた。その筈だった。

「――っ……!」

 一番に飛び込んできたのは炎だ。一体を炎が取り囲んでいた。

「何、これは……」

 次に飛び込んできたのは、今にも息絶えそうな人。常世の兵も多くいるが、千尋の仲間もその中にいる。いや、正確に言えばいる筈だ。屍があまりにも多すぎる。

「行くぞ、二ノ姫。走るんだ」
「は、はい」

 忍人に手を引かれては、立ち止まることは出来なかったし、火の雨は次から次へと襲ってきていて、仲間の無事を確認する間もなく逃げる必要があった。
 途中で本軍と合流は出来たものの、被害の規模さえ分からぬ状況の中、千尋達はただ天鳥船まで逃げるだけしか出来ない。人ではない何かの力の前では、人の力など無力に等しいことを、兵達も痛感していた。大きな力の前では敵も味方もない。
 常世の皇さえもあの炎によって倒れたという報告が届いたのは、多くの仲間を戦場に残したまま、船が飛び立ち、夜もすっかり更けた頃だった。
 忍人は船の中の見回りをしていた。休む必要があることは自分の身体のことだから分かるのだが、それでもこの災厄が兵達に与えた影響を知りたかった。士気が下がるのはやむを得ないことだと分かっていたのだが。
 得体の知れない恐怖を抱えている者は予想通り、ほぼ全員が抱えていた。実際に何食わぬ顔をしている忍人でさえ気味が悪いと思っている。だが、反面、災厄が常世の皇を倒したことが、常世の連中に罰が当たったのだとか、龍神の加護を受けた中つ国だから常世の国を退けられたのだとか、そのような吹聴があった。忍人自身は根拠のない神などは信じていない。神やその手の類のものが人間に何の代償も無しに助けなどくれはしないことを忍人は、この5年から6年の間に散々思い知らされた。だから、皆が口々に言うようなことは信じていないのだが、兵の士気をわざと下げるような真似をするのは愚かだとも思う。敢えて言うことはないと思った。
 最後に堅庭に来る。夜も深くなり、戦で疲弊した兵達ならばもう既に眠りに就いていてもおかしくはない時間に、堅庭に出ている人間がいるとは考えにくいが、忍人自身も外の風にあたりたいと思っていたというのもあり、堅庭に出た。だが、そこにはもう休んでいると思っていた千尋がいた。









 千尋は、忍人と同じように天鳥船を見て回っていた。理由は、皆の様子を見たかったからで、忍人と似た理由ではあるが、本質は違う。罪悪感や責任感から突き動かされるものだ。

「ああ、ここならとても静かだ……」

 堅庭は夜の静寂に包まれ、星だけが瞬いていた。澄み渡る空はあの惨劇があったとは思えないくらい、以前と変わらないくらい美しい空だ。
 あの戦場にも今はこんな夜空が広がっているんだろうか、そう思うと視界がぼやける。

「どうしてこんなことになってしまったんだろう」

千尋は、置いてきた仲間達のことを思い浮かべる。彼らとの思い出は少なくはない。

「姫様!」
「俺たちの手で絶対取り戻しましょう、村の連中も仲間たちも!」

 無知で無謀だった千尋についてきてくれた仲間だ。彼らがいてくれて初めて、成し遂げたことがたくさんある。弱い千尋を信じてきてくれた、彼らの為に何かしたかった。守りたかった。

「みんなのことを守ろうと決めていたのに」

 忘れられない、彼らの声。苦しみながら死んでいった彼らの姿が脳裏から離れない。

「私を信じた人たちも私が戦った人たちもたくさん…この空の下からいなくなってしまった」

 味方は大事だ。だが、あの理不尽な力の前ではそんな区別などない。同じように苦しみ――そして、死にたくはなかった筈だ。こんな死に方など誰も望んでいなかった。

「私は―」

 千尋は自分の髪に刃をあてる。そこから少し力を入れてしまえば、金の髪は散っていく。
 これは手向け、そして戒めだ。二度とあのような声に惑わされない。

「もっと、強くならなきゃいけない」

 無力な自分がいなければ、あんな自体にはならなかったかもしれない。肉体的には急には強くなれないかもしれない。だが、精神面ではもっと強く、そして正しい決断を下すだけの精神力が千尋には必要だ。

「私の決断でたくさんの人が死んでいくんだ」

 それが重い。だが、それを受け入れたのは千尋だ。だからそれを嘆くことはしない。悲しむのも今だけでいい。

 「私に命を預けてくれたみんなの、幸せを……守るために」

 涙が溢れてきたが、泣く権利なんて無いし、泣いている暇なんてない。彼らの為に出来ることは平和な豊葦原にすることだけだ。悲しむのはそれからだ。
 ごしごしと目元を拭い、前を向き直す。もう休んだ方がいい。眠れなくても、そうすべきだ。その場を立ち去ろうと踵を返したところ、堅庭に訪れた忍人と目が合ったのだ。

「忍人、さん……」
「……まだ休んでなかったんだな」
「眠れなくて……でも忍人さんも同じじゃないですか」

 そう、休んでいないのはお互い様なのだ。責められるのはお互いであり、どちらも責められる謂われはない。

「……髪、切ったのか」

 忍人の視線は千尋の短くなった、揺れる髪を追っていた。その忍人の表情はよく分からないが、急に短くなったことを不思議に思うのは当たり前かもしれない。

「……その、けじめ、みたいなものです」
「けじめ?」
「私の力不足なせいで……失ってしまったから。私がもっと、しっかりしていたら、もっと強かったら……」

 そう言って、千尋は押し黙る。言ったところで、失った命は戻ってこない。これ以上は弱音のようで、言えなかった。
 沈黙が続く。忍人はこういう時に慰めを言うような人物ではない。千尋は慰めてほしいわけではなかったが、沈黙が心地良いわけではない。出来れば一人で居たかった。

「……あの、もう夜も遅いし、お互い休んだ方がいいと思うんです」
「そうだな」
「じゃあ……おやすみなさい」

 そう言って、千尋は立ち去ろうとする。が、忍人の声がそれを止めた。

「君は確かに強くないのかもしれない」

 慰めでも何でもない、忍人の言葉は痛いが、それでもその奥に優しさがあることを千尋は知っている。戦場を想定した訓練は、大切な人の元に帰す為にある。そんな内面を千尋は知っている。

「だが、それを認められる君だから俺たちはついてくるんだ。君を信じている」

 決して優しい口調ではない。忍人らしく、はっきりとした口調で、千尋へ言葉を届けてくれる。

「引き留めて悪かったな。おやすみ」
「……はいっ」

 千尋はやや駆け足でその場を立ち去る。信じてくれる仲間がいるなら、それにふさわしい強さが必要で、自力で歩けるだけの力が欲しいと改めて思う。そんな人でありたい。そう千尋は思った。










 千尋が立ち去った後も、忍人は堅庭に居た。すぐに立ち去っても良かったのだろうが、千尋の気配が完全に消えるまで、待っていた。きっと千尋が顔を見られたくないことは忍人には手に取るように分かったから。
 同じように自身の無力を呪ったことがあった。今も、そうだ。だが、それを認める千尋を弱いとは思わないし、忍人はそんな主で良かったと、内心では嬉しく思っていた。希望はまだある、そう感じていた。

だが、二人はまだ知らない。千尋の決意が、二人の道を別つことを――。




































あとがき
 既にプロットからやや外れた件。面倒なことになってきましたw
 思ったより、千尋ちゃんが弱音を吐かないし、絆が足りないのか、忍人さんも踏み込んだことを聞かないという。まぁ、私のイメージの忍千っぽいのでそのまま採用してみたんですが、その後の話に影響してきたらどうしようと内心ビクビクしてます。フラグ回収とかそもそもプロットの段階で考えないと回収しきれないタイプなんですけど。
 忍人さんって私、そんなに書きやすいタイプじゃないのかもしれないなとか考えますが、でも楽しくて仕方ない。特に忍千は楽しくて仕方ないです。
 実質、問題は解決もしてないし、本質に互いに触れていないので、まあ…ちょっと気持ち悪い感じはするんですが、力不足で申し訳ないとしか言い様がないというか。
 今回は、本編に沿って、と思っておりますので、ゲーム中の台詞も相当抜粋しております。がんがん変わっていく部分もありますが。


 ここまで読んで下さってありがとうございます。続きも読んで下さると嬉しいです。遅筆で申し訳ないのですがorz
























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