第二話
「命じます、葛城将軍。その刀を捨てなさい」
八年前のあの、夜空が常よりも綺麗に感じた夜、千尋は忍人に彼の王としてそう命じた。そのことは彼のためにできる最善のことであったし、今でも最善だと思っている。
「野にくだり姫の御代が訪れるのをお待ちしております」
おそらくこれが忍人が千尋に言った最後の言葉だっただろう。あとは義務的な報告があったかもしれないが、千尋がしっかり覚えている最後の言葉はこれだった。
「千尋、本当にこれでいいんですか?」
風早は何度もそう千尋に聞いた。他の中つ国の、特に天鳥船に乗っている兵達も何故と問う者が絶えなかった。納得できないと千尋を批判する者もいた。それでも千尋は自分の意思を覆すことはなかった。忍人に生きていてもらうには、これしかなかったから。忍人が生きていることこそが千尋のただ唯一の”願い”だったのだから。
こんな千尋の気持ちを知れば、誰もが批難したであろう。王族として相応しくない願いであると。千尋は王族で、中つ国の大将軍なのだから、国の平穏のみを願うべきであると。その為なら人一人の命は目を瞑らねばならないと。それを千尋も充分に理解していた。中つ国を取り戻し、豊葦原に平穏をもたらすことが千尋の使命であり、それらを成し遂げるためには”葛城将軍”の力が必要であることを千尋は分かっていた。
それを知って尚、”葛城将軍”を手放した千尋はどうしても中つ国を取り戻さねばならなかった。そうしなければ周りに示しがつかない。忍人が千尋の世が来るのを待っていると思うならば尚更叶えねばならなかった。どんなに手が血で汚れ、何を犠牲にしてでも成さねばならないことだった。
その千尋の姿はあまりに痛々しいものだった。
「この戦の先に、あんたの幸せがあるのかい?千尋」
忍人という戦力の要を失った苦しい戦の中、岩長姫はそう千尋に言った。そんなことを考える余裕などなかった千尋にとって、その問いはハッとさせられるものでもあった。
千尋は少しだけ間をおいて答えた。
「ええ。中つ国を取り戻し、豊葦原を平和にする・・・これが私の目標だもの」
「確かに、中つ国の王族としてなら正しい答えだろうけれど、私が聞いてるのはそんなお手本のような答えじゃないんだよ」
岩長姫が言わんとしていることは千尋もすぐに分かった。おそらく岩長姫から見ても千尋のこの状況は酷いのだろう。確かに苦しい。それを自分自身を誤魔化すことも出来ないぐらいに千尋の中で大きな感情だ。しかし、千尋の”願い”はただ一つだ。
「・・・私の願いはただ一つ。それさえ叶えば、私は幸せよ」
そう、忍人さえ生きていれば千尋という個人の幸せは満たされるのだから。
こうして取り戻した中つ国だ。この地が平和である限り、忍人に危険が及ばない。それを維持するためなら千尋はどんなことも出来たし、今の千尋を支えているのはそれだけだった。国を治めるには千尋の気性は少し優しすぎたのだ。弱いところなど見せることも出来ず生きていくには何か支えが必要だった。
千尋は最後に、忍人に伝えたことがある。中つ国の”二の姫”でも”大将軍”でもなく、ただの少女とである”葦原千尋”として。
それは忍人が天鳥船から降りる時のことだ。
「生きて下さい」
目を見て、顔を合わせて言ったわけではない。降りていく忍人の背にこう告げたのだ。聞こえない距離ではないなかったし、あれだけ戦場に身を置いていた忍人の聴覚であれば聞こえたと思うのだが、本当に届いたかは千尋には確認できない。忍人は一度も振り返ることはなかった。
「我が君、貴女はこれで満足ですか?もう二度と、会えぬかもしれませんよ」
「いいんだよ、柊。これでいい」
千尋が最後に泣いたのはこの時だ。”葦原千尋”として泣いた。忍人が船にいる以上、泣くのは自分勝手な気がしたし、この場を去れば”二の姫”としてやらなければならないことはたくさんある。泣くことが許されるのはこの時だけだった。ただ一人の男を少女として恋い、涙できるのは。
「このように我が君に涙してもらえるとは・・・忍人が少し羨ましいですね」
「もう柊・・・何言ってるの」
「しかし、この清らかな涙を拭えるのは今は私の役目・・・よろしいですよね?我が君」
ここにいるのが柊で良かったと千尋は思った。柊なら、今このことを忘れたフリをしてくれる。本当は細やかな配慮ができる人だから、気を遣わせることになるだろうけれど、放っておいてくれる優しさの方が今の千尋には嬉しかった。
別れには似つかわしくないほど晴れ渡った日、千尋と忍人の進む道は別れた。
あれから八年、千尋は今もあの時の決断を後悔などしていない。あのままならば忍人は間違いなく死んでいただろうから。
しかし酷く心が痛む時がある。あの時、千尋は自分の気持ちでいっぱいいっぱいで、考えもしなかった忍人の気持ちを思うと胸が痛い。
今だから分かることなのだが、あの時の忍人にとって破魂刀を奪われ、将軍職まで奪われるということは、彼の今までの生き方自体を否定したことになるのではないかということだ。
千尋が豊葦原を離れていた五年間、忍人は戦いと共に生きてきた。多感である思春期の殆どを中つ国の残党軍として生きてきたのだ。つまりは忍人にとって生きるということは戦うことに相当
するのだ。
もちろん、第三者から見れば生きることと戦うことが全てイコールで繋がるというわけではないと言うだろう。自分のことでないならば、立派なことはたくさん言える。他にも生き方なんてたくさんあるのだと言えるのだ。だから千尋も忍人に八年前そう言えたのだ。
しかし王となった今、千尋は気付いたのだ。例えば自分が王としての立場を追われたらどうなるだろうかと。相応しくないと言われたらと。そう考えたら恐ろしくなった。
死にもの狂いで戦って取り戻し、自分の全てを注いで作り上げてきた中つ国。地位に固執しているわけでもないし、煌びやかな生活などどうでもいい。しかしこれまで中つ国の王族として生きてきたのだ。その王族としての自分を失ってしまっては、果たして千尋の中に何が残るのだろうかと。何か残るのだろうかと。それこそ他人から見れば残るものがあるのかもしれないが、自分から見て残るものなどない気がした。
きっと忍人も同じ気持ちだったに違いない。それだけのことを千尋はしたのだ。許されることでない。少女としての自分勝手な願いのために忍人は”犠牲”になったのだ。
だからこそ、千尋は王として許される限り生きていこうと思うのだ。少女としての自分は十分に願いを叶えた。様々なものを犠牲にして。だったら今度忍人が身を捧げてきた中つ国を守ろうと千尋は思う。
これだけが唯一千尋が忍人のためにできることなのだから。
あとがき
久々過ぎてだいぶ書き方忘れてしまったよ、本当に。とても申し訳ない感じですが、必死に書きました。
私のイメージでは千尋ちゃんはだいたいこんな感じ。強くあろうとしてるけれど、本当はすごいガラスのハートの持ち主。壊そうとしたら簡単に壊れてしまう感じです。寧ろ我が家の千尋ちゃんはだいたいこんな感じになりそうです。
野下りEDは私、普通に選んでしまいましたよ。まさかあれがBADだなんて思いもしませんでして・・・でも千尋ちゃんとしてはこっちの方が幸せかなとか思うんですけど。もう会えなくても忍人さんが生きていてくれる方がきっと嬉しいです。でも忍人さんからしたらBAD以外の何ものでもないんですよね。忍人さんの幸せってただ生きているだけの中にはないから。それなら守るために死ぬ方が幸せなんでしょうね。
そして巷では破魂刀の使い過ぎで戦闘中に気絶しちゃう扱いされてる忍人さんですが、私ゲーム中にそういう事態はほぼ起こりませんでした、何故か。多分、ほぼ常に遠夜がいたのがありそうです。そして同門より蒼穹を好んで使ってました。布都彦の攻撃力と那岐の術と遠夜の回復のトリオは神です。戦闘においては絶対蒼穹の方が使いやすいです。あとは異民族トリオとかもさり気無く好きです。ていうか遠夜は戦闘中ほぼ入れてた気が・・・色々な意味で癒し系ですからね。
なんか空気読めてないあとがきですけど、とりあえずここまで頑張って読んで下さった方、ありがとうございます。
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