第五話









 破魂刀を捨て、将軍職から退いた忍人は、この八年間、葛城の地を治める長の補佐として勤めてきた。
 王である千尋によって将軍職を解任された忍人は王から遠ざけられた者、つまり王の不況を買った者という理由で、本当は長となっていてもおかしくない生まれではあるものの、表立った仕事に就くことはできなかった。だが、忍人の能力は秀でたものであったので、それを買われて表向きは長の補佐として、実際は忍人が治めるという形となっていた。
 忍人も、もう政治や軍事の表舞台に立つ気などなかった。自分の力などなくても、もう中つ国はやっていける。忍人ができることと言えば、この葛城の地で中つ国を、千尋が作り出した美しい国を見守ることだけだ。千尋の橿原宮での様子を聞くことが、未だに苦しい想いはこみがるものの、唯一の楽しみでもあった。忍人にとって千尋はまだ自分の王であり、誇りだ。唯一認めた王の活躍を、忍人は誇らしい気持ちで聞けるようになった。この想いは捨てようにも捨てられるものではなかった。

 そんな忍人に届いたのが千尋との婚約話だった。

 最初はただの噂話だと踏んでいた。だが、正式な通知として届いた時、忍人は信じられなかった。
 もう二度と会うことはないと思っていた。決して憎み合って別れたわけではない。しかし道は完全に別れたのだ。互いに譲れないものがあって、道を違えた。中つ国への忠誠も置いてきた忍人に、一体今更どんな顔して千尋に会えというのだろう。
 それに千尋には忍人はもう必要ない。寧ろ、心優しい千尋にとって忍人の存在はただの重荷でしかなくなるのではないかと、忍人は危惧していた。それだけは忍人にとって何より避けたいことだ。
 しかし葛城の一族は、このことは喜ばしいことだと既に受け入れる姿勢である。もう忍人に拒否権はない。一族にとって王族と連なるものになるということはとても名誉なことであるし、忍人も相手が千尋でなければどんな相手であろうと受け入れただろう。

 「千尋・・・俺は君を苦しめたいわけではないのに・・・」

 一人星空を見て呟く。八年前のあの日よりも少しだけ雲がかかっていた。










 「命じます、葛城将軍。破魂刀を捨てなさい」

 まるで鈍器で頭を殴られたような気分だった。心のどこかで千尋はここまで冷酷になりきれないと思っているのかもしれない。或いは自分の力は中つ国になくてはならないと思っていた思い上がりのせいか。どちらにしても忍人にとって思いもよらない言葉だった。
 武器を捨てろということは、忍人に戦線から離れろと、つまりは忍人の生きてきた道を断つだけでなく、生き方そのものの否定だった。
 今まで戦うことだけが全てだった。千尋に出会うまでは何のために戦っているのかも分からなかったほどに、忍人にとって戦うことは息をすることにも等しいものだ。それを捨てろと千尋は命じたのだ。
 戦線から離れた忍人は葛城の地へ戻るより他になかった。どのように生きていけばいいのかさえ分からない。生きているのに、死んでいるのと変わらない・・・そんな虚無感が忍人を襲った。
 中つ国が滅んでから五年、忍人は何のために生きてきたのかさえ疑問に思わず生きてきた。”葛城”忍人として、中つ国の”将軍”として、中つ国を、この豊葦原を取り戻さなくてはならないという使命感のみで戦ってきたのだが、忍人自身は何のために戦うのかさえ分からないでいた。

 そこに現れたのが千尋だった。

 民を想い、兵に気を遣い、誰一人として見捨てようとしない千尋のことを甘いと思いながらも、惹かれたのだ。王として、何より一人の女性として守りたいと、支えたいと思えた。
 しかし、千尋はそれら全てを忍人から取り上げた。今までの生き方も、想いも、全て取り上げたのだ。
 では、忍人にとって中つ国が滅びてからの五年は何だったのだろう。何の為にここまで戦ってきたのだろう。自分の身を削ってまで戦ってきたというのに、それを忍人の唯一の王である千尋に否定されて、どのように生きていけと言うのだ。
 いっそ、このままのたれ死んでもいいとさえ思えた忍人を葛城の地まで戻らせたのも、千尋の言葉だった。

 「生きて下さい」

 自分から生きる道を奪っておきながら何を言うのだと怒鳴ってしまいたかった。でも、そう言った千尋の声は震えていた。だから何も言えなかった。振り返ることもできなかった。千尋を悲しませているのは間違いなく忍人自身だということが分かっていたから。しかし、千尋の気持ちを薄々知りながらも素直に受け入れることができるほど忍人も大人ではなかったのだ。
 もう忍人が千尋の言葉を聞く必要なない。生きるも生きないも、中つ国への忠誠を置いてきた忍人にとって自由なのだから。
 それでも忍人は千尋の願いを無下にはできない。彼の王でなくなっても、千尋が大切な女性であるということに変わりはない。無視することはどうしてもできなかったのだ。
 しかし、忍人が生きる理由などどこにもなかった。何の理由もなく生きるのはつらかった。楽しみも、守るべき者もいない。時間はゆるゆると流れ、苦しかった。これが千尋の望みなのかと思うと、許せない気持ちが募っていくばかりだった。

 どうしてこのようなことを自分に強いるのか。

 生きている筈なのに、死んでいるのと変わらない生活はいつまで続ければいいのか。

 自分から戦いをとって、一体何が残るというのか。何故こうまでして生きなければならないのか。

 分からなかった。
 苦しさを紛らわす為に、葛城の地を治めるものの、これが忍人の生きる道だとは思えなかった。











 将軍職から離れて五年後、中つ国の女王、千尋が婚姻を結んだと聞くことになった。
 それを聞いて、忍人はハッとした。千尋と婚姻という単語が結び付かなかった。心のどこかでもっと先の話だと思っていたのだ。こんなに長い年月が経っていたというのに。それだけ忍人の中の時間は止まってしまっていたのだ。
 千尋の気持ちに全く気付かなかったわけではない。ただ気付かないフリをしていただけ。

 千尋は立派な女王になったのだ。

 婚儀に出向くことなかったものの、行われたのは桜も満開な春だった。
 この時になって忍人はようやく桜が綺麗だと思えた。
 千尋がどんなに悲しい想いを抱えて、作り上げたこの国の美しさにやっと忍人は気付いた。
 きっかけは些細なことだ。ただ時間は流れていくものだと知っただけ。それだけでようやく周りの変化に気付いたのだ。
 誰もが幸せそうに笑う国・・・この国を忍人は見たかったのだ。
 純粋に嬉しいと思えた。
 反面、寂しい想いがあった。
 千尋は忍人の力がなくとも、この国を作り上げることができた。千尋は千尋の力で立派な女王となったのだ。
 忍人は千尋にとって本当に必要のない者なのだ・・・そう思った。












 忍人にとっては千尋が必要だった。今も、そうだ。
 千尋の国を見ることが本当の忍人の願いだった。本当は一緒に作り上げていきたかったが、千尋の作る国をこんなに晴れやかな気持ちで見ることができる。
 寂しさや悔しさはまだくすぶっているが、千尋と離れて八年経って、ようやく穏やかな心でいられるようになったというのに、忍人の心は千尋との婚約という事実に再び揺れ始めた。


































あとがき
 本当は二話分けるつもりだったんですが、意外に短かったのでくっつけてしまいました。つまりこの時点で予定は15話になったということですね(汗) 変更せねば・・・。
 忍人さんが抱えてる複雑な感情をもっと書きたいんですけど、収拾がつかなくなりそうなのでこのあたりにしておきました。あまり巧く表現できなかったなorz
 つまりは、最初は許せない気持ちが大きかったんだけど、時間がそれを少しずつ解消してくれたんだよってことです。そういうことにしておいて下さい。
 時間が経つと多少薄れていくものです。人それぞれ個人差はあるにしても。
 さーて、そろそろキャラ同士が絡んできますよ。しばらく忍人さんと千尋ちゃんは絡みませんけど(あれ)
 次はアシュのターン!と行けばいいんですけど・・・ね。アシュは男前過ぎて、実は邪魔なんですよね← アシュはお預けするべきなのか否か・・・悩みどころです。
 ではここまで読んで下さってありがとうございます。











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