第七話
「忍人と・・・結婚・・・?」
「そうだよ。何の心境の変化か知らないけどさ・・・あまり良い変化じゃなさそうだけど」
那岐から聞かされた遠夜は内心少しだけ喜んだのだが、那岐の様子を見るとあまり良いことではないようだ。
土蜘蛛から人になり、言葉が他人にも聞こえるようになった遠夜だが、橿原宮にいられるわけではない。しかし遠夜は千尋の傍にいたいと願い、那岐の計らいもあって、宮の近くで静かに暮らしていた。千尋は頻繁に来れないが、かつての仲間、年の近い那岐や布都彦はよく訪れてくれるので、寂しいと思うことはなかった。
ただ、千尋の様子が気がかりだった。遠夜が見る度に千尋は生気を失って見えた。
それは忍人と千尋が離れているせいだと遠夜は考えていて、連れ戻すべきだと主張したものの、千尋はそれを望まなかった。遠夜は千尋が望まないことはしたくはない。だからそれ以上は何も言わなかった。
だけど二人が想い合っていることは遠夜が一番知っていた。二人を一番近くで見てきたのだから。
「神子は・・・嬉しくない・・・?」
「・・・複雑なんじゃない?自分から遠ざけたわけだし、そのせいで忍人は本来いられる場所にいられなかったんだから」
「二人は好き合っているのに・・・?」
「僕だって詳しいことは知らないよ。千尋も、忍人も、色々あるんだ」
「・・・・・・」
人になっても、人の気持ちが分かるわけではない。少しは同じ視点に立てたとしても、別々の人間である限り、完全に理解することは出来ない。遠夜はそのことを、八年かけて何度も学んできた。
だからこそ。伝える為の声があるのだ。本当に届けたい気持ちを伝える為にこの声がある。
遠夜は伝える為にある決心をした。
忍人は千尋との婚姻の準備が慌ただしく行われているのをただ見ていることしか出来なかった。
千尋が望んでいることならば、忍人も喜んで受け入れただろう。しかし、これを決めたのは狭井君だ。噂では千尋は反対したのだと聞く。
気が重かった。名のある族の子息として義務と分かっているが、それでも逃げてしまいたい気分だ。
千尋の重荷になりたくない。もし自分が消息を断てば、この話はなかったことになるのではないだろうか。そんな思いがグルグルと頭の中を過ぎる。
しかし逃げたところで、それこそ千尋の王族としての名に傷が付くだろう。婿に逃げられる女王などと聞いたことがない。どう立ち振る舞っても、千尋の邪魔にしかならない自分が腹立たしかった。
そんな時に現れたのが遠夜だった。
月の綺麗な夜のことだ。
一人、部屋にいると、ふと気配を感じて外に出た。敵意は感じられないが、それでも昔慣れ親しんだ気配だったので気になったのだ。
「遠夜・・・」
八年前よりもあどけなさが抜けて、大人らしくなった遠夜の姿があった。しかし変わらず澄んだ瞳を真っ直ぐに忍人に向けていた。
「久しぶり・・・忍人」
「!遠夜、お前、声が・・・」
「うん・・・俺も神子と同じ人間になれた。だから俺の声を忍人に伝えることが出来る」
「そうなのか・・・」
忍人には何故遠夜が人間になれたのかは分からないが、しかし遠夜と話が出来るというのは純粋に嬉しいことだった。
しかし八年も離れていたというのに、急に会いに来たのは何か意味がある筈だ。
そして遠夜が動く理由は、千尋しかない。千尋に関わりがあることだろうと忍人は確信していた。
「・・・何の用で来たんだ?遠夜」
「伝えたいことがある」
「・・・それは千尋に関係のあることか?」
遠夜はコクリと頷く。それを見て忍人は溜め息を吐く。
千尋の傍に来るなと、そう忠告しに来たのか。
千尋の為を思うなら、婚約などしない方がいいということは、忍人が一番よく分かっている。
しかしそれはどうしようもないことではないか。忍人にも、千尋にもどうすることも出来ないのだから。
忍人は死ねない。千尋と約束したのだから。それだけしか忍人には残されていない。だからどんなに邪魔になっていると分かっていても、忍人は自分の消滅という選択肢をとることは出来ないのだ。
何を言われても、どうしようもない。
忍人はそう思っていた。
「忍人・・・神子の傍にいてあげて」
「・・・遠夜?」
「神子は忍人が好きだよ。今でも・・・とても好きだよ」
八年前のあの頃と何も変わらない、純粋で綺麗な笑顔で遠夜は言う。
その言葉と態度に忍人は戸惑った。
「何を言っているんだ、遠夜。千尋は俺のことなどもう必要としていない。寧ろ邪魔だと・・・」
「そんなことはない。・・・忍人がいなくなって、神子はあまり笑わなくなった。きっと寂しいんだと思う。会いたいって、思ってるよ・・・」
「・・・だが・・・」
「傍にいてあげて。神子には・・・忍人が必要なんだ」
「・・・」
それは本当だろうか。俄かには信じがたい話だ。きっと遠夜も自分の判断で来たのだろう。恐らく確信のない話だ。本当に千尋がそう思っているかなんて、分からない。
でも、もしそれが本当ならば忍人は傍にいたいと思う。忍人だって、本当は千尋に会いたい。傷付けたくない、邪魔になりたくないと、そう思いながらも、会いたいと願ったことはこの八年、一度や二度ではなかった。
「・・・傍にいても・・・いいのだろうか・・・」
「うん。神子もそう・・・願っている」
遠夜の言葉が忍人には嬉しかった。千尋の気持ちがそうじゃない可能性ももちろん分かっている。でも、もし必要とされているのならば、傍にいたいと思う。
それに結局反対しようと決まったことならば、同じことなのだ。
ならば気持ちを切り替えて、進むしかない。
「・・・心配しなくとも。準備が出来れば行く。それはもう決まっていることだ」
「忍人、でも・・・」
「だが・・・ありがとう、遠夜。おかげで気持ちを切り替えることが出来た」
もう逃げの体勢は取らない。これからどうするか考えることが必要なのだ。
千尋が必要としていようとしていまいと、千尋の為に尽力しようと思う。
約束を忘れたわけではない。なので命を懸けることは出来ないが、それでも自分の出来る限りをしようと、そう思えた。
忍人の憑き物が落ちたような顔に遠夜は安心したように微笑んだ。
あとがき
ところどころやっぱりご都合主義かなぁと思いながらも、こんな展開になってきました。
人の心は確かに簡単には変われないけど、言葉の力で変わることってやっぱりあると思います。
ちょっとした言葉が力になる・・・そんな感じのものが伝わってくれれば幸いです。
ここまで読んで下さってありがとうございます。
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