第二話
「そういや、お嬢の居た世界にはじどうしゃっちゅうもんがあるらしいが、それは一体どんなものなんだ?」
「お前もお嬢も都も、異国に居たんだろう?あっちは簡単に異国に行けるのか?留学も出来るなんて羨ましいな」
龍馬が話しかけてくる度、瞬は不快そうに眉根を寄せてみるのだが、この自由気ままな男にそれは通用しないらしい。
人と関わりを持ちたくない瞬にとって、坂本龍馬という男は厄介な存在だ。行動力があり、自由奔放。だが、全く何も考えていないわけではなく、常に遠い先の未来を見据えている。龍馬の感覚は瞬達が居た世界――同じような未来を辿るとするなら近未来――のものに近く、時代背景から考えるにすごい人物であることは違いない。そして先見の明と、行動力、カリスマ性は誰もが憧れを抱くものだ。瞬も少なからずその一人だ。
憧れの人に声をかけてもらえれば、嬉しいものだろうし、瞬も人の子なので、同じ感情も勿論ある。だが、瞬は必要以上に人と関わりたくないのだ。瞬はこの危機が去れば消える運命にある。自分がいなくなっても、誰も悲しまず、誰も嘆かない方が良い。それはゆきに対してだけではなく、他の誰に対してもそうで、だが、ゆき以外に対しては別の気持ちもある。自分が生に執着するのが恐いのだ。
瞬には役目だけがあればいい。つまりゆきに対する執着があればいい。ゆきを守ることに全てを注げれば、生に執着することもない。幸い、ゆきはお人好しで、無鉄砲で、何より庇護欲に駆られる少女で、他の男、瞬が見る限り八葉達もそう思っているように見える。ゆきにだけ目を向けていれば瞬はつらくない。だから、他人と関わり、ゆき以外に執着するのは、役目に対する想いを鈍らせ、瞬をつらくすることを瞬は知っている。だから関わりたくない。龍馬だけではなく、他の誰にも。
なのに、龍馬は瞬に関わろうとする。それは瞬を煩わせる。が、同時に言い知れない安堵もある。他人に認められたいという願望が自分にもあったことに瞬は驚いたが、人間であれば当たり前の感情で、抑え付けてきた分の反動もあるのだろうと、瞬は他人のことのように自分を分析した。
だから、尚更龍馬とは距離を置くことを心がけた。龍馬の話しかけそうな気配を感じれば、距離を取ったり、用もないのに一日の予定を他の八葉に聞いてみたりなど、避けられるだけ避けた。
「瞬兄、今日は色々な人に声かけるのね?」
「……そうでしょうか」
「うん。でも龍馬さんとは話さないのね」
「……」
ゆきは自分のことには驚く程疎いが、他人のことは意外に見ている。だが、ゆきが気付いているなら、観察力のある龍馬や他の八葉も気付いているのだろう。そう思うと少し頭が痛い。だが、自分がどんな行動を取ろうが、多少煩わしいことが増えるだけで、何か変わるわけではない。役目にさえ集中すればいい。
いつも以上に気を張っていたせいか、少し疲弊していた。だからいつもより早く床に就くことにした。
瞬には未来を見る力がある。全てがはっきりと見えるわけではなく、部分的に未来を見せる。幾度となく瞬は自分が消える夢を見てきた。最初こそ恐ろしくて仕方なかったが、最近はとても穏やかな気持ちでそれを見ることが出来るようになっていた。合わせ世となる危機が目前に迫り、このまま進めばゆきが助からないことが現実に起こりうることをまざまざと突き付けられている。血がゆきを守れと呼びかけると同時に、ゆきを妹のように、それ以上に大事に思っている瞬には、ゆきを失うことは考えられない。誰にでも手を差し伸ばすゆきは瞬にだって手を伸ばす。そしてその手に何度も救われてきたのだ。だからゆきを守って死ぬことに不満などない。これ以上ない、穏やかな死に瞬は幸せさえも感じていた。
だと言うのに、今日の夢は違うのだ。ゆきの為に死ぬことに不満がないのは変わらない。生きたいと執着もしていない。なのに、心の中には寂しさが大きく占めていて、苦しかった。
夢の中で、瞬は少しずつ消えていく。消えていく瞬に手を差し伸ばしたのはゆきだけ。それが何故こんなにも悲しいのか。寂しいのか。苦しくて仕方ないのか。
目が醒めて、夢の内容を思い返し、瞬はゾッとする。自分が他人を求め始めている事実に。今まで、平気だったのに何故……と思うが、答えは明確だった。瞬は泣きたいような情けないような気分だ。
溜め息を吐いて、周囲を見渡せば、闇が辺りを満たし、照らすのは月と星の弱い光だけだ。まだ朝は遠いようで、もう一度眠りに就こうかとも思ったのだが、睡魔は遠退いてしまっていて、寝付けそうにない。それどころか先程のことが頭の中を満たし、気分が落ちるばかりだ。
ならば、少し外の空気でも吸いに行こうと思い、瞬は簡単に身支度をする。ゆきから離れることに不安がないわけではないが、現在気の乱れはなく、おそらく怨霊が襲ってくるようなことはないだろうし、ゆきを神子と知る人もそう多くはないのだから、人間相手の危険はないだろう。そう遠くに行くわけでもないのだから、大丈夫だと判断して、夜の宿を後にする。
この時間になれば、人もいない。そして、この世界には夜の街を照らす光はなく、星が多く見える。小さく煌めく星々は瞬を穏やかな気持ちにさせる。それが瞬の身に流れる血ゆえなのかどうかは分からないが。
落ち着いた気分になり、戻ろうかと思った時に、見知った声が瞬の名を呼んだ。
「しゅーんっ!!」
声を聞くだけで分かる。というよりはこんな時間にこんな風に自分の名を呼ぶ無神経な人物は一人しか知らない。
「……夜も遅いのに、大きな声で呼ぶな」
「悪い悪い。いやー、さっきまで飲んでたせいで、ちょっとうっかりしてた」
「……」
つまり酔っ払って浮かれているということか。瞬は呆れて何も言わなかった。そんな瞬の様子に気付かないのか、龍馬は陽気そうに続けた。
「だが、ちょっと酒が足りねぇんだよなぁ…だからさ、瞬、一緒に飲み直そうぜ」
「……は?」
「いい酒があるんだ。飲めるだろ?」
「飲めるが、飲むつもりは……」
「じゃあ飲もうぜ!!」
ぐいっと瞬の腕を取り、宿に入ろうとする龍馬。人と関わりたくないのは勿論、酔っ払いとはもっと関わりたくない。
「飲むつもりはない。離してくれ」
瞬は冷たく言い放つが、龍馬は何でもないという風に笑っている。
「昼間は避けられてたみたいだからな。夜は逃がさないぜ」
「……」
「それに、眠れないから宿の外にいたんだろう?」
何もなく瞬が外に出るわけがない。そう龍馬が続ける。眠れないなら付き合えと言わんばかりに引っ張られ、また、ここで騒ぐのも周囲の迷惑となる。少なくとも騒ぎが起きて、ゆきを起こす結果だけは避けたい瞬は、何も言わずについていくことにした。適当にあしらって、適当に帰ってもらえばいい。そう思った。
だが、予想は大幅に外れた。今、瞬の目の前は気持ち良さそうに寝ている龍馬の姿がある。
龍馬が持っていた酒は本当に上等なもので、瞬も少し口を付けただけだったが舌鼓を打った。
だが、酒は飲んでも飲まれるものではない。明日のことを考えれば、飲む量を調整するのも大人として当然だ。
しかし、龍馬は次々と飲み干していったし、そして瞬が飲み干せば注いでいく。注がれた分は瞬が飲まなくてはならないから、ゆっくりと飲むことを心がけてみたものの、少し量が多かった。
だが、どんなに長くとも酒が無くなれば宴は終わる。何を言っても帰らない酔っ払いを返す方法はこれしかないと瞬は腹をくくり、龍馬の相手をすることにした。ここで強引に追い出せばそれこそ騒ぎが起こりそうだ。
しかし困ったことに龍馬が先に潰れてしまい、瞬の布団を占領している。勿論、潰れた段階で放っておこうかとも考えたが、夜は冷えるから風邪をひくかもしれない。優しくしてやる必要もないのだが、それでも同じ八葉が風邪で倒れたら間違いなく迷惑なので、布団の上で寝かせてやったのだが、瞬の寝る場所がない。新しく布団を用意してもらえるよう便宜を図ろうかとも考えたのだが、皆が寝静まっている時間に新しい物を用意してもらうのは忍びない。自分一人が我慢すれば良いことで、瞬は壁に身を預け、目を閉じる。風邪はひかぬように、いつも羽織っているコートを着込んで。
瞬が眠り就けたのは夜明け間際だった。そして、この世界の朝は早い。普段はそんなに寝起きがいい方ではないものの、人の動く気配で目が覚める。
頭痛が酷い。寝不足なせいか、それとも二日酔いのせいなのか、思い当たる節が多いが、全ては目の前で気持ち良さそうに寝ている人物のせいである。
「……龍馬、起きろ」
実際には起きる時間には早い。だが、龍馬は一旦自分の宿に帰る必要があるだろう。龍馬の遅れは全ての遅れに繋がる。今日は龍馬と一緒に行動することになっていた筈だ。
「ん…?瞬……?」
「起きろ。朝だ」
「…俺、そのまま寝ちまってたのか……」
思っていたより、寝起きが良さそうで瞬は安心する。普段から命を狙われている人物なのだから、寝起きが悪いと危ういせいかもしれないが。
「…ん?布団…これ、瞬の布団か?悪い!これ、俺が使っちまって……!」
「っ!朝から大声を出すな」
ただでさえ酷い頭痛が、近くで大声を出されれば響く。あれだけ飲んだ筈の龍馬が二日酔い無しで、自分は頭痛が酷いだなんて、瞬は納得がいかない気分だったが、黙っておいた。
「頭痛いのか?昨夜はちと冷えただろう。風邪かもしれねえ。熱はないか?」
頭痛が酷い瞬の様子を少し勘違いしたのか、龍馬は顔を近付けてくる。それの意図するところを瞬は咄嗟に気が付かなかった。それは遠い昔の記憶の中にあった情景と同じだった。
コツンと瞬の額と龍馬の額が触れ合う。
「………」
「…んー…熱は無さそうだな……だが、風邪の兆候があるのかもしれんし……」
「……っ…!」
その行為の恥ずかしさに、瞬は龍馬を突き飛ばす。まさか子どもがされるようなそれを、この年齢になって自分がされるだなんて思わなかった。
顔が熱くなる。それを隠すように瞬は顔を片手で覆った。
「おい、何か赤いぞ?!熱が出始めたんじゃ…」
「……違う」
更に近付こうとする龍馬を、瞬は内心は慌てながら、態度には出さぬように制止した。
「お前のせいなのは間違いないが……病気じゃない。寝不足か二日酔いで頭が痛いだけだ。熱はない」
医者の不養生という言葉もあるが、それほど体調が悪くないことくらい瞬が一番分かっている。他人に心配されるほどでもない。
「だが、顔が赤いじゃねぇ…か………っ…!」
何かに火が点いたかのように、今度は龍馬が赤くなった。何故龍馬が赤くなるのかは知らないし、興味を持つ必要もないので瞬は聞かない。
「………とにかく早く準備をしろ」
顔の赤みがまだ取れないのが恥ずかしくて、瞬は龍馬から顔を背ける。瞬の記憶にはこんな子どもが親にしてもらうような行為のものはない。最後が小さいゆきがしてくれた何気ないものだ。まさか成人して、しかも大の男にされるだなんて思わなかった。それが恥ずかしくて仕方がない。
「わ、悪いな、瞬……」
「……いいから、早く準備をしろ」
瞬は本格的に龍馬から離れ、見られないように顔を背けたまま、準備を始める。
だから龍馬が瞬を見つめたまま、「可愛い」だなんて呟いたことに瞬は気付かなかった。
あとがき
瞬兄の照れ顔って、半端なく可愛いですよね。あんな顔見せられたら、誰でも惚れると思うんです。だから龍馬さんのそんなシーンを書きたかった←
瞬兄の冷たい理由って、ゆきちゃん相手は公式でゆきちゃんが悲しまないようにってなってるのでいいんですけど、他人には何故冷たいのかって考えた時に、たぶん、自分が寂しくならないようにっていうことじゃないかなと思ったんです。だって、未練が出来たら死ねないじゃないですか。
瞬兄と龍馬さんの話です、これ←
ついでに龍馬さんが赤くなったのは、自分のしたことへの恥ずかしさじゃなくて、瞬兄の可愛さのせいです。
ここまで読んで下さってありがとうございます。更新率は頑張ってあげたいなって思っています。大学生活燃やしきるつもりで更新します←
back top next