第四話
























 龍馬に口付けられて以来、瞬は極力と龍馬と二人きりになるのを避けた。
 瞬も自分の気持ちには気が付いている。龍馬が好きだと分かっているのだが、それを受け入れることは瞬の今までの努力を水の泡にしかねない。今はゆきを優先し、自分が消える覚悟はできている。
 夢で幾度も自分が消え、その度に手を伸ばすゆき。どんなに冷たく接しても瞬を慕い、笑いかけてくるゆき。危なかっしくて放っておけない、妹以上に心配で大切なゆきの為に消えることは、恐怖はあれど後悔や未練はない。龍馬はそれを揺るがす存在なのだ。龍馬がゆき以上に大切になることはないだろうが、もし気持ちが通じ合ってしまえば未練が生じる。傍にいたいと思うことさえ瞬には罪なのだ。
 龍馬もあれ以来、夜毎部屋を訪れることはなかった。だが、瞬に何か言いたいことがあるようで、瞬の様子をじっと見ている。言いたいことがあるならはっきりと伝えてくる龍馬にしては珍しいが、今はそのおかげで八葉としての役目に支障をきたさずに済んでいる。
 役目を果たす時がいつ来るかは分からないが、このままうまくやり過ごせばいい。それはあまりにも無策だと知りながら、瞬はそうするより他になかった。





 瞬の目の前にいるのはすっかり血の気の引いた龍馬だ。集めた五行の力によって復興させた病院のベッドに龍馬を寝かせ、出来る限りの手当はしてある。瞬が出来ることはこうして苦しそうな龍馬を見ていることしか出来ない。
 寺田屋事件。瞬の暮らしてきた世界ではそう呼ばれているものだ。違うのは助け出すのが少し遅かった点だ。
 出来る限りの処置はした。薬も現代の方が豊富で、清潔な場所も提供出来る。これが最良の選択だ。その筈だ。と瞬は自分に言い聞かせ、何度も自分の処置に間違いがなかったかを頭の中で繰り返す。
 瞬は医者ではない。まだ学生の身分で、本格的な処置の仕方は知識ではあっても、経験としては明らかに不足している。動揺を隠し、ひたすら治療に専念した。目の前の命を救うことだけに専念し、治療のこと以外は前後の記憶は薄かった。
 そして今更ながら、怖い、と瞬は思っている。出来る限りはした筈だ。おかしな点などなかった筈だと何度も自分で確認しながらも、このまま龍馬の目が醒めなかったらと思うと怖くて仕方がなかった。
 失えないのは八葉としてだけなのか。その答えは既に瞬の中で出ている。
 瞬個人としても失えない。それが瞬の答えであり、だからこそ、こんなにも恐ろしいのだ。
 勿論、仮に龍馬を失うことがあっても瞬は生きていくだろう。変わらず、ゆきを守り続ける。それが瞬の存在意義であり、その為にここにいる。けれど、龍馬がいない世界は瞬には想像出来ない。自分が消える覚悟はあっても、龍馬が先に逝くだなんて嫌なのだ。そう、“いや”なのだ。
 何かに対して嫌だと感じることなど瞬には殆どなかった。打算的な理由もなく、個人の気持ちとして嫌だと思うことはなかった。まるで子どもが駄々をこねるような、こんな感覚は今まで感じたことがない。
 龍馬を失う覚悟など瞬には出来る筈もなく、ただ目を覚ますことだけを祈り続けるしかない。

「瞬兄……」
「ゆき。…どうかしましたか?」

 ゆきが都を伴って瞬と龍馬のいる病室へ訪れる。外は既に暗くなっていた。

「瞬兄も、少し休んだ方がいいよ。龍馬さんのことは私が……」
「いえ、何か様子がおかしい時に俺がいなければ、対応できないかもしれませんから。それよりも貴女は休んでいて下さい、ゆき。貴女も疲れている筈です」
「瞬兄……」
「瞬、疲れてるのは皆一緒だろう。ここで瞬が倒れられても困るんだ。ここは好意に甘えて休めばいいだろ」

 都の言うことはよく分かっている。だが、この恐怖が拭えない限り、瞬は眠りに就けるわけがない。休めないならば、傍にいたい。
 しかしそれを素直に言うわけにもいかず、瞬はいつも通りの表情で、建前を口にする。

「これぐらいどうということはない。都、ゆきを連れて家に帰れ。ゆき、貴女も身体は丈夫ではないのだから、休んでいて下さい」
「お前……分かったよ。帰ろう、ゆき」
「でも、都……」
「ゆきが休むべきって言うのは私も賛成だし、瞬はここから離れるわけにはいかない。ゆき一人で帰るわけにもいかないし、一旦帰ろう」

 おそらく、都はゆきに言われてついてきただけだろうし、龍馬の心配はしていても、瞬と同じくゆきが最優先だ。瞬が言葉を聞き入れる気配がないなら、そこから先は不毛な言い合いになることに気付いているのだろう。都も瞬との付き合いは長い。仲が良くないとしても、ある程度互いの性質は気付いている。

「休んだらもう一回来ればいいんだから、ゆき、一旦帰ろう?」
「……うん。瞬兄、無理はしないでね?何かあったら知らせて?」

 知らせようがないのだが、瞬はその言葉に頷く。そうしたら、ゆきは心配そうな表情ではあったものの、渋々了承したようで、来た道を引き返してくれた。





 夜が更に深くなり、静かな病室は時々痛みで呻く龍馬の声と、瞬が龍馬の汗を拭う時の衣擦れの音だけが響く。
 傷が熱を孕み、発熱しているのだろう。水分を取らせなくては脱水症状を起こしてしまう。しかし、点滴を処方できない今、口から水分を取らせるしかない。龍馬は意識がないのだから、直接飲むことはできないことも瞬は分かっている。
 瞬に躊躇いなどなく、布で龍馬の唇を濡らし、ペットボトルの水を自らの口に含む。龍馬の上体をゆっくりと起こし、息苦しいのか少し開いている唇に自分の口を押し当てる。少しずつ水を流し込む。一瞬、龍馬は苦しそうにピクリと動いたが、喉が渇いていたのか少しずつ飲み干していく。
 それを幾度か繰り返し、そっと龍馬を横たえる。苦しそうなことに変わりはないが、脱水を防ぐにはこれしかない。
 時計がないので、正確な時間は分からないのだが、おおよそ一時間おきにそれを繰り返し、空が白み始めた頃には龍馬は穏やかな表情で眠りに就いていた。

「瞬」
「……小松か」
「龍馬の様子はどう?」

 帯刀が自ら足を運んでくることに瞬は少し驚いたものの、それは表情に出さなかった。小松は龍馬と昔からの知り合いのようだし、心配しても不思議はない。

「漸く落ち着いた。だが、意識が戻るまでは油断ならない」
「そう」

 瞬は龍馬の方に視線を落とす。本当に目を覚ましてくれるだろうか、と最悪の想像をしてしまう。

「……君も少しは休んだら?と言っても聞きそうにないけどね」
「……」
「でも休んだ方が合理的だよ。様子を見ているだけなら、私達にもできる。君は頭がいいからそれくらいは分かっている筈だよね」

 帯刀が瞬に何を言おうとしているのか、それを瞬は考える。だが、答えは出てこなかった。

「最近、意図的に龍馬を避けてたみたいだけど……嫌いなわけではないのでしょう?これだけ心配しているわけだし」
「……八葉は一人も欠けてはならない。欠けさせないのも俺の役目だ」
「ふーん。じゃあ私や高杉が倒れても同じように介抱してくれるの?」
「……当たり前だ」

 帯刀が言いたかったことも、また自分が本当のことを言っていないことも、瞬には分かっていた。分かっていたが、認めるにはそれはあまりに重いことだった。

「……君が何を抱えているかは知らないけど、結局抑えきれていないなら結果は変わらないと思うよ。どうせ、龍馬が君を好きなことに変わりはないんだから」

 帯刀の言うことは、瞬も分かっていることだ。抑えているつもりで結局は抑えきれていない気持ちがそこにある。それはおそらくどんなことがあっても変わらない。瞬が消えるまで変わらないものなのだ。
 そう、消えるまで、と瞬は頭の中で繰り返す。だが、瞬が消えた時、瞬に関わる全てが無くなる。龍馬が瞬を好きだと思う気持ちも、瞬の存在もだ。それを恐ろしく思う気持ちがあることが、瞬にとって一番厄介なものだ。
 だが、今瞬が恐れていることは別にある。自分にとって大切な人――今まではゆき一人だったが――龍馬がいなくなることだ。

「休みたくなったら声を掛けて。どうせ替わる気はないんでしょうけど」

 近くに居られては落ち着かないでしょう。
 そう言って帯刀は部屋から出ていく。それと同時に瞬は息を吐く。
 自分自身では抑えているようで、実際には抑えられてなんていない。本来なら眠れずとも休むべきなのに、この場に留まる己こそがそれを表している。
 そうならばいっそ――。

「……ん…」
「…龍馬?」

 今まで眠っていた龍馬が身動ぎする。瞬は素早くその様子を伺う。
 すると、龍馬は琥珀ががった茶色の瞳を開き、瞬を見据える。

「…しゅ…ん……?」

 龍馬の意識が戻った。そう認識した瞬間、目頭が熱くなるのを瞬は感じた。

「…気分は…どうだ?」
「ん……痛いとこだらけで、よく分からんが……とりあえず、心配するようなことはないんじゃないか……?」

 力なくではあるが、笑ってみせる龍馬に瞬は少しだけ苛立った。こんな時にまで強がってほしくない。そう思ってしまう瞬は、自分の気持ちに気が付いている。

 傍にいたい。
 頼ってほしい。
 愛してほしい。
 自分より少しでも長く生きてほしい。

 瞬は自分を女々しく思ったが、それが瞬の本音であり、どうやっても溢れてきてしまう。

「しゅん……?」
「……っ」

 もしかしたら二度と呼んでもらえないのではないかとも考えていた、龍馬の瞬の名を呼ぶ声が大切なもののように思えた。泣くつもりなどなかったのに、涙が溢れてしまう。
 それを龍馬の指が拭う。ゆっくりとぎこちなく。おそらく、腕を上げるだけでも痛いだろうに、龍馬はそのような表情は見せない。

「……心配かけてすまんな。けど、泣かんでくれ」
「……泣いてなど…っ」
「お前さんにそんな顔されたら、死んでも死にきれん」
「……死ぬな」

 龍馬が自分より早くいなくなるなど瞬には耐えられない。

「死ぬだなんて、許さない」
「瞬……」

 龍馬は上体を浮かせ、瞬に口付ける。それを一瞬、瞬は拒もうかと考えたが、止めた。
 いつか瞬が役目を全うした時、龍馬の気持ちも消える。仮に傷付くとしても、それは瞬のみだ。ならば、今、この時だけ、龍馬を求めたとしても、役目さえ忘れなければ罪ではないのではないだろうか。龍馬は瞬をいつか忘れる。瞬が消えても傷付くことはない。ゆきと大きく違うのは瞬がいなくても龍馬は生きていけることだ。ならば、今この想いを認めても良いのではないだろうか。
 それに、役目の妨げにはならないだろう。役目を全うした時はおそらく、幕府を倒した時だ。天海を倒すのならば、そうなる。幕府を倒したならば、龍馬がこのような目に会わずに済む。つまり、役目を全うすれば、龍馬の命の危険は減るのだ。
 ゆきを守れ、そして龍馬を守れるならば、瞬は役目を全うすることに躊躇いなどないだろう。
 これが甘えであると知りながら、瞬は龍馬からの口付けを受け入れた。






























あとがき
※途中から作者が酔ってます。
※更に途中からゲームの展開を覚えていないのに書き上げる暴挙に出ています。

 私の中で小松さんは恋のキューピッドです。寧ろ他は高杉くらいしかいないじゃん、しかも高杉だとなんか遠回しな言い方出来ないじゃん、みたいな感じで、小松さんに白羽の矢が刺さりました。
 瞬兄の医療技術については以前から疑問はありましたが、点滴までは無理だろうと、口移しのシーンができました(……)

 なんか結構今回難産で、ところどころ変な所がございますが……楽しんで頂けていたら幸いです。



















back top next