第五話
「瞬」
あの日以降、龍馬は怪我の治療として瞬のもとに来るようになった。怪我は酷いものだったから嘘ではない。だが、それは表向きの理由であり、二人で密会する為に会いに来るのだ。それは瞬も了承していることで、口にはしないが龍馬の訪れを静かに待っている。
『付き合おう』とかきっかけになる言葉を口にしたわけでもない。実際に瞬は龍馬に一度も『好きだ』なんて言っていないし、これを恋人同士の睦言と言うにはあまりに言葉が足りない。だが、しているそれは恋人同士のものであり、この関係を言うならば間違いなく恋人同士というものなのだろう。
「お前は今日も読み物か。前に読んでたのと同じやつみたいだが……」
「何度も読み返すことで記憶を定着させる。この量を一度に全て覚えるのは無理な話だ」
「そりゃ、そうだな」
他愛のない話をする。龍馬の話であったり、時には瞬も自分のいた世界のことを当たり障りのない程度話した。こうして触れるか触れないかの距離に座り、他愛のないことを口にする。表情には出さないが、瞬は龍馬の話を聞くことを楽しく思うし、何かしながらでも龍馬の言葉をしっかりと聞いている瞬の傍は龍馬にとっても心地良かった。
龍馬は瞬の頬に指を滑らせる。温かな指は日だまりのようだと瞬は思う。
「……いいか?」
これは口付けの合図だ。瞬は言葉にしない代わりに瞳を閉じる。言葉にするのが恥ずかしいわけではない。言ってしまえば、抑えている気持ちまで溢れてきてしまいそうだからだ。
「…んっ……」
触れるだけの口付けを繰り返す。瞬はそれを拒まない。それが唯一瞬から見せるの好意の証だ。物足りないだろうことくらい瞬も分かっているが、言葉や態度で示すことはできなかった。いずれ瞬は消えてしまう身で、記憶から消えてしまうとしても、相手の心に踏み入り、悲しみを少しでも残すことは、瞬の望むところではない。
ならば、こんなことを許すべきではない、と理性は働きかけるが、瞬は龍馬が欲しくて仕方なかった。最期まで傍にいてほしい。それ以降まではいらないから、せめて、自分の最期までは。
「瞬……」
瞬の頬は先程よりもいくらか紅潮していた。その頬を温かな指が触れる。熱っぽい瞳が瞬を見詰める。瞬は菫色の瞳を伏せ、龍馬の背に触れる。これは口付け以上を許す時の合図だった。
あれ以降、身体を重ねたこともあった。それでも愛を口にしない瞬に、龍馬は不満を口にしたりはしない。冷たい人だと詰ることもない。その優しさに瞬は甘えている。
龍馬が全く不満に思っているわけではないことは態度を見ていれば分かる。
「…愛してるぜ……瞬…」
熱っぽい声でそう囁かれることは瞬も嬉しいが、自分も愛しているとは言えない。口を閉ざし、気まずくて視線を逸らす。その度に、龍馬は寂しそうに苦笑していることを瞬も分かっている。
言葉にすれば、態度で表せば、きっと喜んでくれるのだろう。もしかしたらもっと好いてくれるかもしれない。だが、それこそが最も恐いのだ。
瞬がここにいるのは合わせ世があるからだ。それは本来在ってはならないものであり、瞬も本来ならばいない人間だ。だからそのいない人間を失うことを悲しむ必要はない。悲しませてはいけないのだ。瞬は龍馬のかけがえのない人間になってはならない。消えた後、尚も残るような存在にならない為にも、瞬は自分の領域と龍馬の領域を共有させないようにするしかなかった。
龍馬を好きでいることは瞬にはどうしても変えられない。けれど、役目を忘れる心配もない。役目を終えた時、きっと龍馬の危険も拭えるだろうから、寧ろ早く終えたいと思う。あんな思いは二度と御免だと。
だが、もし許されるならば。誰に許しを請えば良いのかは分からないが、いずれ来るその時まではゆきの傍、そして龍馬の傍に居させてほしい。大切な人の傍にいたいと願うことぐらいは許してほしい。
そう思い、瞬は回した腕に力を入れた。
龍馬はそっと瞬の部屋から抜け出す。おそらく恋人と言っていいだろうその人は、朝に弱い。もう少し眠っていてもいい時間だから、起こすのも忍びない。だからこそ、音がしないように気配を殺し、出ていく。
空は白く霧がかり、朝の訪れを知らせようとしている。冬が訪れようとしているのだろう。少し肌寒く感じた。
この関係が何かと問われれば、一番近しいのは恋人同士なのだろうが、はっきりとそう言えない。だが、決して肉体関係だけではないと龍馬は思っている。瞬は口にしないが、龍馬に好意を抱いているように見える。自惚れかもしれないが、瞬は好きでもない相手にこんな風に触れさせはしないだろうし、触れてもこないだろう。
「…寒いな……」
好意を口にするのは龍馬ばかりで、瞬は一言も言ったことがない。それを不満でないと言えば、嘘になる。だが、瞬のあの表情を見たら、口にしてくれだなんて言えなかった。
龍馬が『愛している』と囁けば、瞬は切な気に視線を逸らす。表情だけ見れば変化はないが、目を見ればよく分かる。視線を逸らすのは最早癖なのかもしれないが、その瞳の奥は瞬の気持ちを饒舌に語る。
言えない事情があるのだと思う。どんな事情かは龍馬には皆目見当もつかない。だが、何か事情があり、また抱えているものがあるのだと思うのだ。
好きな人のことであれば何でも知りたいという気持ちは龍馬にもある。けれど、自分の全てを話せる人間など、この世のどこにもいない。龍馬にも話せないことがあるように、全てを話すわけにはいかない事情というものを人それぞれ持っている。
話したくなるまで待とう、龍馬はそう思っている。
龍馬は瞬を好いているし、瞬もおそらく同じ気持ちでいるのだから、今はそれが分かれば十分だろう。
「いつか…口に出してくれたらいいんだが……」
そう一人呟く。誰の耳に届くこともなく、この言葉は龍馬を少しだけ寂しくさせた。
空は白いが、出立まではまだ時間がある。もう一寝入りしても十分な程にだ。日が昇れば、龍馬と瞬はあくまで仲間同士、対同士なのだから、切り替えるには丁度良いだろうと、龍馬は自分の頭を掻いた。
だが、龍馬はこの時の自分に後悔することをまだ知らない。
あとがき
み じ か い w
も、申し訳ないですorz色々絡みもあるんですけど、それを書いてたらパターン無限大なので、それは短編にでも書こうと思ったんです。次は少し時間軸が飛びます。
瞬兄は割と矛盾した気持ちを抱えているイメージがあります。大切だから踏み入らない、でも大切だから傍にいる。大切だから冷たくするのに、結局隠しきれるほど器用でもなければ、他の人に渡す気もない態度だったり。瞬兄ルートから見て。ゆきちゃんに嫌われるための行動にしては過保護だよなと思いましたw そういう矛盾を抱く人かなとか・・・まあ、私の勝手なイメージですけど。くそ、良い感じの言葉にまとまらないな・・・。
今回のあんまり気に入らないんですけどね……うーん。振り返って嫌で仕方なくなったら加筆・修正します。すみません。
次回も読んで下さると嬉しいです。
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